イントロは最高、というはなし
今日はイントロが好きな話する
合間合間に好きなの載せます
あたしはアイドルのアルバムのイントロがほんとうにだいすき
なぜならイントロはあたしにとってトリガーみたいなものなので
曲を聴いた瞬間にアルバムが出た当時の記憶が思い浮かぶのって、タイトル曲ではなくてイントロで
行ったコンサートの匂いを思い出せるし、あのときあんなことで悩んでたな、あのときあの曲に救われたな、あの言葉そういえばこの現場で言われたんだよな、とかそのときの感情を振り返られるのがイントロ…
チャンジュンが言うように、イントロはサインと言ってもいいと思います*1
大げさなことを言ってしまえば、自分の人生を振り返るときに目印となる存在と考えてもいいのかもしれません
イントロはアルバムの顔であり、全ての曲をつなぐ橋であり、コンセプトと向き合っていることの証明であり(①)、音楽を尊重する意思の表れ(②)だと思ってる
①
基本的にアイドルはたくさんの作曲家・作詞家・コンポーザーの方が携わって一つのアルバムを作るわけじゃないですか
いっせーのー せ!!!で作るわけではないから、根底にあるイメージはある程度共有されていても(おそらくPD?からなにかしら提示されているはずなので)、そのイメージの捉え方は各々違うし、消化の仕方も違うんですよ
だからこそコンセプトの明確な提示及び意思表示が行われて、かつアルバムに統一感を生み出すイントロはとても重要で、アルバムの顔といえるものだとあたしは思ってる
特にゴルチャのイントロはタイトル曲とのつながりを意識しているというよりアルバムを俯瞰的に捉えている印象があって、ピニやろぶりずのより好きだったりする
あたしの考えとは違うかもしれないけど、ヒアさんもおっしゃってましたよね
②
これは本当に①以上に超超個人的な考えで、嫌な気持ちになるひとがいると思うので無視していただいて結構!だけど書きたいことは書くがポリシーのおれ、いきます。
実は、嵐ってイントロとかoverture出すようなひとたちだったんですよ(過去形なのがかなしい)
ドリアラを最後になくなってしまいました
レーベルが変わったとかまあいろいろな理由があるとは思うけど、あたしが思うに音楽性より個人の存在自体に重きが置かれるようになったからかな、と感じています
アイドルのオタクなんて千差万別で、音楽にこだわってこんな記事まで書いちゃうあたしみたいな厄介なやつもいれば、好きな人が歌っていればどんな曲でも好きってひともいる。感覚的にドリアラ以降の嵐のファンは後者が多くなった気がする(気がする)
そうなると本人の声が入っていない曲があれば、大量の不満がでてくるのは目に見えています 「untitled」でソロがないってねちねち文句言う某担がいたくらいだから、いまイントロだすってなったらやばいだろうな(シーン…)
10周年を迎えてから、紹介されるときに「国民的」という枕詞がつくようになってから、いわゆるパブリックイメージに寄り添うような楽曲が多くなったかな…コンセプトがあまりわからないな…と個人的に感じることが増えました
ですが
俳優ではございませんし、日本では歌って踊ってますし、5人でグループとして活躍しています
と、硫黄島のときの二宮くんが発言したように、アイドルは演技やバラエティなど多岐にわたる活動をこなさなければならないにも関わらず、なんだかんだ音楽活動がベースに置かれている特異な職業
アイドルの定義は人それぞれだけど、どのアイドルにも共通しているのは必ず音楽の存在があるという点ではないでしょうか………?(歌わないアイドルとかいたらすみません)
だからこそあたしは運営に対して良い音楽を聴かせたいっていう気概をみせてほしいといつも思うし、それに答えてくれるウリムはやっぱり、結局、好きなんですよね
どんな活動を目指していようと、アイドルは音楽があってこその職業だとあたしは思っているので
大昔のインタビューだけど、ジュンヨプの一貫したコンセプトへのこだわり・熱意があたしには合ってるんだなとか思ったり
なんだか話がまとまらなくなってきたのでおわります